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救いがないことが救い

去年の半年間、特殊な事情でいわゆる”メンヘラ”な子と彼女より近い距離にいた。

 

実際メンヘラと呼ばれる人たちは多い気がするが、自分に対してそういう一面を見せる人は初めてだった。そしていざ仲良くなってみると、悪い意味で相性が良かった。

 

メンヘラの子が落ちるときは際限がないもの(だと感じた)。それを見てより心配になって、何ができるか考えて行動する。その行動が、感傷的になっているときほど過敏に反応させてしまった。

 

『救いが無いことが救い』

”落ちた”ときには、自己認証を求めてTwitterの裏アカでつぶやいたり、初対面の人間にすら甘えるような行動をとる。ただ、実際に救われることはない。女性である限り、近づく人間は身体を求めている人が多いし、現実そうだったように思う。

 

また本当に救おうと近づく人がいても、いざ救いの手を差し伸べられるとその手を怪訝な目で見て掴もうとしない。むしろ、自分をおとしめるものだと感じてその手を傷つける。

 

救いを求めながらも、救いがないことに安心して深く暗い部分に落ち着き、時間が立つと徐々に戻ってくる。そんな印象だった。

 

じっとしていても彼女は救いを求めて見境なく”人”を求める。しかし動けば距離ができる。

彼女の人生にどうコミットするか、そんなことばかり考えながらも、その行動が距離を作る。未だに距離の縮め方はわからないし、彼女の人生へのコミットの方法もわからない。

 

1人の人間の人生について考え続けたという意味でものすごく濃い時間だった。またある面では、他人の人生を考えられることは幸せなことだと思うし、心境や価値観の変化はものすごく大きかった。

 

今月で彼女との特殊な関係も終わる。これからは彼女の行動が見えない場所にいく。

良い意味で心配しないけど、そこまで人の人生にコミットしたにも関わらず最後は変な別れ方という後悔もある。