【感想】私の嫌いな10の人びと

中島義道といえば、有名な哲学者。

友人に勧められて私の嫌いな10の人びとを読みました。

 

私の嫌いな10の人びと (新潮文庫)

私の嫌いな10の人びと (新潮文庫)

 

 

ちなみに、中島のいう10の人びととは以下を指します。

・笑顔の絶えない人
・常に感謝の気持ちを忘れない人
・みんなの喜ぶ顔が見たい人
・いつも前向きに生きている人
・自分の仕事に「誇り」をもっている人
・「けじめ」を大切にする人
・喧嘩が起こるとすぐ止めようとする人
・物事をはっきりと言わない人
・「おれ、バカだから」と言う人
・「わが人生に悔いはない」と思っている人

 

いかにも現代の日本人、そして世間的に”良い人”と呼ばれる人があてはまる気がします。

 

しかし、いざ読んでみると言葉のままではなく、その思考にいたった背景や、上記の人は◯◯と思えるからというように、それぞれ理由がありました。

 

各項目の説明は直接読んでもらうとして、今回もっとも強く感じた中島義道の感性と頑固さについて書いてみます。

 

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中島の感性 

"感情と論理が切り離されていて、かつ世の中の目に見えない慣習すべてに思考が行き渡る"そんな人だと感じました。

 

おそらくどんな世界にも一定の倫理観や法律があるかと思います。しかし、それらは時に全体最適であって個人最適ではない。そのため自分では違うと思っていることも、社会的な倫理観や法律で決まっているため、ときに自分の思いや考えに反して行動しなければいけない時があります。

中島は、極端にそれを嫌います。

 

その理由は以下のような感性、思考回路から生まれるものかと思いました。

世間一般: 事象 ➡ (倫理観に規定された)行動

中島義道: 事象 ➡ 思考 ➡ 自分の判断軸に沿った行動

 

例えば、多くの一般人は人からプレゼントをもらうと喜ばしくないものでも、その場では「ありがとう」と答えようとしてしまうかと思います。時には年賀状のように、もらうと感謝にとどまらずお返しまでしなければと思うことすらあります。

 

しかし、社会の倫理観や規定された行動と中島義道の思考は断絶しているため、プレゼントをもらっても嬉しくなければ、ありがとうも言わない。年賀状も返す必要がないと思えば返さない。なぜなら、彼にとってその必要を感じないから。むしろ時に嫌みすら吐いてしまう。

 このように中島の感性や思考は社会と断絶していることがあります。

 

しかしそんな中島に対して、時にありがとうという言葉や年賀状のお返しのように、そもそも相手がその行動を期待しており、自分にもそういった行動をとることを求めてくることがあります。

 

もしその時に倫理観の下で求められる行動と自分が判断した行動に差がある場合、”やりたくないことをやらされている”という、一種の圧力を受けていると感じると中島は言います。

例)感謝をしなければいけない、恩返しを強要されているなど

 

 

”自分の意思に関わらず、社会や組織の論理に従わなければいけない”という感覚はかなり気味が悪い。

 

永遠の0を見て感じたことですが、本作の中で主人公らは、戦時中だったこともあり自分の意思に関わらず自らの命と引き換えに特攻を強要されました。

自分が当時の人間だったら、何を思い、どう行動するだろうか。おそらく相当なストレスを感じることでしょう。またどこかのタイミングでそんな圧力に屈して組織の論理に身をゆだねるかもしれません。なぜなら組織の論理や倫理観に準ずる行動さえしていれば、圧力も感じずに無思考でいられるから。

 

しかし中島は譲りません。例え周りから変人といわれようが陰口を叩かれようが、彼は自分で考えて判断を下し、それに沿った行動をとり続けます。圧力にも決して負けず、継続してやり続ける姿に、一種の”頑固さ”を感じました。

 

彼ほど偏屈な人間もなかなかいないと思いますし、自分自身が彼と同じ価値観を持ちたいとは思いませんでしたが、”自分で考えて判断し、準じた行動をとる”ことでした創造できない世界があると思っています。何より、社会や組織の論理に無思考で従うだけでは、誰の人生かわからない。そう思っています。

 

以上、『私の嫌いな10の人びと』を読んだ感想でした。