就活で、自分に合った会社の見つけ方
自分が就活をしていた際の仕事の探し方。
どのくらいやったかと言わると、正直胸を張って納得がいったと言えるものではないけど、ただこういうやり方もあるということで。
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直接、人に聞いて情報を集める
−OB/OG
自分が興味ある業界や会社の人の話。中に従事している人の声という意味で、フィルタリングがないこともあるため、最も信頼できるかもしれない。
ただ会社の従業員が多ければ多いほど、その人が見ている視野の広さや人柄は千差万別
知識レベルで知らないことは知れるが、合うか否かというフィーリング部分に関しては偶然性がつきまとう。
またこちらのブログにも書いてあったが、人は良い顔をしたいと思うもの。
例え違和感を感じながらその企業に勤めていたとしても、本音がでるかといえば難しいものだと思う。
例)高校生に「大学どうですか?」と聞かれて、何か格好つけたくなってしまう気持ちに似てる
−知識ある人
友人、先輩、経営者、VCなど自分より知識があると思える人に、自分が重視する点とマッチする会社を聞いてみる。
個人的にこの方法が一番好きで精度も高いと思う。
やはり情報通には世に出回らないような質の高い情報が集まる。そして、それを咀嚼して説明してくれたり、解釈や仮説までもらえることも。もしかすると事実ではないこともあるかもしれないが、それでも信頼のおける人や賢い人、精通している人の話は聞くだけで知識となるし、何より面白い。
間接的に、メディア媒体を使って情報を集める
−転職サイト
個人的に、新卒のメディアサイトを信用していない。
サッカー未経験者に、間違ったオフサイドのルールを教えても判断がつかない。
同様に、仕事をしていないからこそ、ある程度何を言っても信じさせることができるため、直接あって話を聞くと全くそうとは思えないことも多々書いてある。
そういった意味で、どこまで信用できる情報があるかわからない。(単純に探しづらいというものもあるが)
そこで見ていたのがvorkersや転職会議といった転職サイト。
転職した人が匿名で情報を書く。参考になった情報にはインセンティブが渡る。
そのため転職者が本音ベースで、より役立つことが記載してあることが多い。また、よりサイトの質を向上させるために下手な情報は、管理者側が削除するはず。
上記のようなことを考えて、転職サイトを利用して自分が求めている情報に合致しやすい情報を見つけていった。
−専門誌
ITならtech crunch、ベンチャーならVCのブログ、他には株価の変動など見ると、名前が出る会社は限られてくる。また業界の変動や各企業の特徴も掴めてくることから、すごく参考になった。
コンサルで言えば、マッキンゼーやBCGに目がいきやすいけど、卒業生が作り文化を引き継いでいるという意味で、それらの会社に興味を持つ人にとっては、DeNAの執行役員であるコバケンさんがいたCDIや産業再生機構を設立し冨山さんが代表のIGPIも面白いはず。
他には電通や博報堂で面白いもの作りたいという人は、バスキュールやtha ltd.、『Always三丁目の夕日』や『永遠の0』を作成しているROBOTなんかも面白いと思う。
”面白い”の定義は違えど、世の中には面白い会社がたくさんある。ただ、自分が面白いを思った会社は新卒向けのサイトには落ちていなかった。
例)人の優秀さ、会社の文化、事業の意義、伸びしろ..etc
大学受験で有名大学に受かった多くの人は、毎日10時間以上勉強したはず。もちろん最初に入った会社で全て決まるわけではないけど、価値観の影響を受け、仕事の方法の型を学ぶという意味で非常に重要なはず。
当時と同じだけの思考量や深さ、行動をもってもいいんじゃないか。そして社会的に多くの人が行っている方法から入り、徐々に自分に適した方法をみつけていくと、就活がより一層面白くなっていくと思う。
汲み取ること
自分のフィールドを責任もって守るのは前提。成長しているとフィールドも広がるので誰がボールを持つべきか明確ではないときも出てくる。そんな中で、自らボールを拾いに行くこと。
ただし、人なので失敗もあるし、拾われないボールや、ボールの拾い方を知らないことだってあるかもしれない。
それをチームとして、互いに汲み取って、埋めていくことが大切なんだと思う。
隣の芝は青い
友人の誕生日会に参加してきた。
世間的に優秀と呼ばれる外資の証券会社の人がたくさん。
隣の芝は青い。
人以上にそう思っている気がする。
でも、そうなれるわけではないし、そうなったときの自分を想像すると、
たいした仕事をしたわけじゃないのに他の人にどやっていて、
自分の仕事に誇りを持っている人を見て、心の中で憧れている気がする。
そういった意味で、やっぱり自分はどこにいても同じなんだろうなと思う。
仕事は密度×頻度。密度は思考の幅×思考の深さ×決断経験。適正はあれど、そもそもそれができるかという意味で、仕事の向き不向きがあるんだろうなと。
思考をどれだけ回しても着地点があるわけじゃない。
おそらく着地点があるわけじゃないからこそ、結局目の前のことに本気で取り組もうとなるのだと思う。
そんな思考を高校時代から続けてきたら、
人生に疑問をもって、いまやってることに悶々としながら、
時に仲間に後押しされたり、ライバルを見た悔しさや憧れや、反面教師を通じて
少しずつ前に進んでいくものだと最近になって感じてきた。
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自分のやりたいことなんてまだわかんないし、いつ見るかるかもわかんない。
いまの仕事が、本当にやりたいことかって言われてもわかんない。
でも、目の前の全てのモノやヒトやコトに一生懸命になるのは自分が目指していること。
そうやって、少しずつ自分の新年や人生のテーマをみつけていけば、いつか見つかる気もする。
前を向こう。
違いを生む人
先日高校サッカーの決勝を見てきました。数年前本田圭介がいた、石川県代表の星稜高校vs富山県代表の富山第一高校
星稜は決勝までの4試合無失点。富山第一は5試合で13得点。まさに堅守対特攻
前半に星稜が2点とったものの、後半残り5分とラストワンプレイで富山第一が得点して延長戦に。さらに延長後半残り数分というところで富山第一が決勝点を決めて優勝。
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試合自体も本当に感動するものだった。星稜の方がフィジカルに優れていたため、富山第一は後半得点するまでほぼ何もできない状態だった。そんな中での逆転。毎年ドラマが生まれる高校サッカーだが、会場でそのドラマが見れてよかった。毎年いくことになりそう。
この試合で特に目立っていたのが、富山第一の左SB竹澤だった。フィールドには得点王のFW渡辺がいたにも関わらず。トリックプレー、スピード、パス、ビルドアップなど全ての面で圧倒的で、個人的にはフィールド上で一番上手かったと思う。彼がボールを持つと、富山第一はゴールに近づくチャンスが多かったため、ボールを持つと同時に会場がどよめいて、観客の期待が伝わるような雰囲気になっていた。
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キラキラしていないベンチャー企業
自分にとって、ベンチャーを見たり聞いたりするとわくわくするものだった。
(いまでもそういう意識は強いが)
ちょうど自分も設立から5年、一昨年が10名強で、昨年が20名強。いまでは社員が30名、アルバイトや業務委託を合わせると60名にも及ぶ会社の一員となっている。1人抜ければ、会社が傾くんじゃないか。そう思えるような場所。
1つの機能をリリースするたびに一喜一憂して、日々全速力で走る。1人の人間が採用されるたびに、組織のポテンシャルがどかっと広がる。それがわかるほどの手触り感。
一方、市場も暖まってきてることもあり、何百社という会社が参入しそうで競合も何億と調達している世界。1歩戦略を間違えれば負けてしまう、一社員ですらヒリヒリ感じるような、そんな場所。
あるときふと顔を上げて感じたのは、全くキラキラしていないこと。
ベンチャーに入る前は、何億調達とか、世界を変えるといって世に出てきたプロダクトや、有名な会社から起業してピッチで優勝している姿を見て、すごく魅力的に見えた。憧ればかりだった。
いま自分がその中にいて感じるのは、しんどさ。
組織として成長する中で、組織自体が成長痛を抱えている。サービスや市場が伸びる速度に、組織や社長、スタッフがついてこれていない。もちろん危機感を感じているし、そこに人生かけて立ち向かっている。でも、全く正解もなく、周りには追われている中で、決めることの恐さすら感じる。
また、ベンチャーによくある”成長”という言葉も、直接「成長しているか」と聞かれると素直に「はい」と言い切れない。毎日目の前に広がる課題を潰して、未来のあるべき姿に向かっているだけ。本当にそれだけ。
wantedlyの仲さんが書いていたように世の中からの見え方と現場では、全く違う景色が広がっていた。
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巻き込まれることの大切さ
あまり明確に「これがやりたい」というものがあるタイプではありません。
だからこそ、多趣味な人を見てイキイキしている姿を見て憧れることも。
ただ、いざ何か始めてみようとしても、面倒くさいと感じたり、費用対効果を考えてしまったりと、”やらない”理由はどれだけでも上がってきます。
しかし自分自身振り返ってみると、1年前に始めたフットサルつながりで、普段全く関わりのないような会社の方とお付き合いするようになったり、以前から仲良かった友人に誘われて参加した企画で、ルームシェアで一緒に住んでいる友人と出会ったり。
巻き込まれることで新たな環境や出会いにつながることが多かったなと思いました。
もちろん失敗や意味があったのかなと疑ってしまう結果になることも多々ありますが、
漠然とやらないと返答したものが、数ヶ月後ものすごく面白くなって後悔するより、
ずっと良いと思っています。
何より、誘ってくれた人が信頼に足る人であるほど「やって良かった」と思えることが多い気がします。
新しいことを始めようとする際、一歩踏みとどまってしまうことも多いと思いますが、
自分が信頼できる人のお誘いにのってしまうという可能性の広げ方があると思いました。
【感想】私の嫌いな10の人びと
中島義道といえば、有名な哲学者。
友人に勧められて私の嫌いな10の人びとを読みました。
ちなみに、中島のいう10の人びととは以下を指します。
・笑顔の絶えない人
・常に感謝の気持ちを忘れない人
・みんなの喜ぶ顔が見たい人
・いつも前向きに生きている人
・自分の仕事に「誇り」をもっている人
・「けじめ」を大切にする人
・喧嘩が起こるとすぐ止めようとする人
・物事をはっきりと言わない人
・「おれ、バカだから」と言う人
・「わが人生に悔いはない」と思っている人
いかにも現代の日本人、そして世間的に”良い人”と呼ばれる人があてはまる気がします。
しかし、いざ読んでみると言葉のままではなく、その思考にいたった背景や、上記の人は◯◯と思えるからというように、それぞれ理由がありました。
各項目の説明は直接読んでもらうとして、今回もっとも強く感じた中島義道の感性と頑固さについて書いてみます。
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中島の感性
"感情と論理が切り離されていて、かつ世の中の目に見えない慣習すべてに思考が行き渡る"そんな人だと感じました。
おそらくどんな世界にも一定の倫理観や法律があるかと思います。しかし、それらは時に全体最適であって個人最適ではない。そのため自分では違うと思っていることも、社会的な倫理観や法律で決まっているため、ときに自分の思いや考えに反して行動しなければいけない時があります。
中島は、極端にそれを嫌います。
その理由は以下のような感性、思考回路から生まれるものかと思いました。
例えば、多くの一般人は人からプレゼントをもらうと喜ばしくないものでも、その場では「ありがとう」と答えようとしてしまうかと思います。時には年賀状のように、もらうと感謝にとどまらずお返しまでしなければと思うことすらあります。
しかし、社会の倫理観や規定された行動と中島義道の思考は断絶しているため、プレゼントをもらっても嬉しくなければ、ありがとうも言わない。年賀状も返す必要がないと思えば返さない。なぜなら、彼にとってその必要を感じないから。むしろ時に嫌みすら吐いてしまう。
このように中島の感性や思考は社会と断絶していることがあります。
しかしそんな中島に対して、時にありがとうという言葉や年賀状のお返しのように、そもそも相手がその行動を期待しており、自分にもそういった行動をとることを求めてくることがあります。
もしその時に倫理観の下で求められる行動と自分が判断した行動に差がある場合、”やりたくないことをやらされている”という、一種の圧力を受けていると感じると中島は言います。
例)感謝をしなければいけない、恩返しを強要されているなど
”自分の意思に関わらず、社会や組織の論理に従わなければいけない”という感覚はかなり気味が悪い。
永遠の0を見て感じたことですが、本作の中で主人公らは、戦時中だったこともあり自分の意思に関わらず自らの命と引き換えに特攻を強要されました。
自分が当時の人間だったら、何を思い、どう行動するだろうか。おそらく相当なストレスを感じることでしょう。またどこかのタイミングでそんな圧力に屈して組織の論理に身をゆだねるかもしれません。なぜなら組織の論理や倫理観に準ずる行動さえしていれば、圧力も感じずに無思考でいられるから。
しかし中島は譲りません。例え周りから変人といわれようが陰口を叩かれようが、彼は自分で考えて判断を下し、それに沿った行動をとり続けます。圧力にも決して負けず、継続してやり続ける姿に、一種の”頑固さ”を感じました。
彼ほど偏屈な人間もなかなかいないと思いますし、自分自身が彼と同じ価値観を持ちたいとは思いませんでしたが、”自分で考えて判断し、準じた行動をとる”ことでした創造できない世界があると思っています。何より、社会や組織の論理に無思考で従うだけでは、誰の人生かわからない。そう思っています。
以上、『私の嫌いな10の人びと』を読んだ感想でした。