自分にあった環境選択の重要性
去年新卒の友人たちが、相次いでうつ状態になって休職に。
もちろん理由はさまざまとはいえ、さすがに半年以上ほめられることもなく、一方的にしかられる環境というのは辛いもの。
そして努力家で、アメリカまで行って門戸をたたいてインターンするほどの行動力がある子でもそうなることを考えると、色々考えさせられる。
いざ働いてみなければわからないものだけど、環境選択の重要性を痛感させられた。
ただ選択可能かという意味でいうと、自分でコントロールできない部分も大きかったのだと思う。
やりたいことや憧れる姿が、いざ自分の手で始めてみると適性がないことだったり。
(それが早い段階でわかったこと自体は、ものすごく良いことだと思うが)
また行動力がある人材の場合、「何か変化をもたらしてくれる」という伸びしろや期待をもって採用されることがあると思う。
ただし、そういった人材もなお適切な場所で、適切な方向性を定めたときに力が発揮できるのであって、そこまで持っていくべきは上司や、そのフォローをする人事、教育制度だと思う。
ベンチャーとはいえ、雇う側もその人の人生を背負う覚悟を持って接すべき。”採用されっぱなし”となった彼らを見ていて、複雑だなと感じた。
みんなのわくわくを形にすると
先日、関東で大雪があった。
http://www.tenki.jp/forecaster/diary/kimuken/2014/02/06/7361.html
場所によっては20cm以上降るような大雪で、電車は止まるわ、外には出られないわで色々と大変。ただ、毎年こういうときに出てくる雪のオブジェには、わくわくすることが多い。
http://www.hiroiro.com/image/26600.html
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課題解決型とブレイクスルー
最近話題のグロースハック
一度ちゃんと知識をつけたいと思って調べていると、こんな記事があった。
『グロースハックは基本的に今あるものを良くするという発想なので、そもそも「今あるもの」が必要だし、1を1.5とか2にするために実施するので、パラダイムシフトはそこからは当然生まれません。』
課題解決で事業を進めて、始める前には難しいと思えたことを達成できたことがある。そういった意味で課題解決の有用性をものすごく感じし、事業を押し進めるときは必ずそういった思考方法を用いる。
ただし、課題解決型の型の組織や考え方をすることが多い中で、行動力に特化した人やgoogleの20%ルールのように、ブレイクスルーを生む可能性を組織に内包する大切さも一層感じている。
改善の積み重ねだけに囚われず、サービスや機能それ自体、社会や人の生活のあるべき姿から事業を設計していくこと。その上での課題解決だと思う。
今後自分が所属する組織には、未来のあるべき姿を話す時間、自分がやりたいことを自由にやる時間を仕組みの中に内包させたい。また組織の中で影響力ある人物から、積極的に口にさせたい。
そんな中からこそ、描くことすらできなかったわくわくしたものが出てくるような気がした。
シェアハウスでの恋愛は起こるか
4年ほど友人と住んでいる。
先日、家のメンバーと一緒に食事にいった際、『シェアハウスで恋愛は起こるのか』という話になった。
個人的には、一般的な確率より起こりやすいが、あまり変わらないと思う。
単純接触の原理という、接触回数を増やすと関係性が親密になるというものが心理学にある。その法則にのっとれば、毎日顔を合わせる人=接触回数が多いわけで確率的に起こりやすいわけで。
ただし、逆に嫌な面も見るし、一瞬にして友人という互いの距離感が定義されていく。
そう考えると、人による程度であまり変わらない気がする。テラスハウスなどもあるけど、見ていて「起こるイメージないな」と思うし、いま女性も住んでいることもあり、実感値として人より語れると思う。
シェアハウスをしている人たちが持つ、互いにいつか聞いてみたい疑問の1つな気がしてる。
何ができるか、何をしてほしいか
ベンチャーの採用によくあることかもしれない。
「何ができますか」
面接ではよく聞かれる質問で、逆の立場ならば当然気になること。
しかし、スタートアップで提供できるものは”経験”しかなく、
「何をしてくれるのか」を求めている。
(そして”経験”自体はどこでも得られるものでもある。)
必然的にできる、愕然とした距離にあるギャップ
そんな谷間をいかに越えていくか。
組織のビジョンか、人の優秀さか、サービスの伸びか、もしくはそれ以外。
いくらでも挙げられるし、そもそも正解なんてない。
ただ企業として何を前に出していくか、また何に共感してジョインしてほしいか。
その1つ1つの見えなくとも大きな決断が、止まり木となる文化の種なんだと思った。
救いがないことが救い
去年の半年間、特殊な事情でいわゆる”メンヘラ”な子と彼女より近い距離にいた。
実際メンヘラと呼ばれる人たちは多い気がするが、自分に対してそういう一面を見せる人は初めてだった。そしていざ仲良くなってみると、悪い意味で相性が良かった。
メンヘラの子が落ちるときは際限がないもの(だと感じた)。それを見てより心配になって、何ができるか考えて行動する。その行動が、感傷的になっているときほど過敏に反応させてしまった。
『救いが無いことが救い』
”落ちた”ときには、自己認証を求めてTwitterの裏アカでつぶやいたり、初対面の人間にすら甘えるような行動をとる。ただ、実際に救われることはない。女性である限り、近づく人間は身体を求めている人が多いし、現実そうだったように思う。
また本当に救おうと近づく人がいても、いざ救いの手を差し伸べられるとその手を怪訝な目で見て掴もうとしない。むしろ、自分をおとしめるものだと感じてその手を傷つける。
救いを求めながらも、救いがないことに安心して深く暗い部分に落ち着き、時間が立つと徐々に戻ってくる。そんな印象だった。
じっとしていても彼女は救いを求めて見境なく”人”を求める。しかし動けば距離ができる。
彼女の人生にどうコミットするか、そんなことばかり考えながらも、その行動が距離を作る。未だに距離の縮め方はわからないし、彼女の人生へのコミットの方法もわからない。
1人の人間の人生について考え続けたという意味でものすごく濃い時間だった。またある面では、他人の人生を考えられることは幸せなことだと思うし、心境や価値観の変化はものすごく大きかった。
今月で彼女との特殊な関係も終わる。これからは彼女の行動が見えない場所にいく。
良い意味で心配しないけど、そこまで人の人生にコミットしたにも関わらず最後は変な別れ方という後悔もある。
チームの”最速”とは
各個人が強みに集中するできる場所に配置をしていくことは、戦略上大前提になるわけなんだけど、営業が企画をしてみるとか、ディレクターがコードを書いてみるとか、そのとき生まれなかった発想や突破力に繋がる可能性を秘めていると思う。
できないができるに変わることが成長だとしたら、少しずつでもできないことにコミットしていくことがあるべき。ただ、短期的にチームとして最速で走りたいなら、出来る人だけ集めて、できることや得意なこと(=強みが発揮できること)に集中してもらう方がよい。
現時点でできないことを行う限り、できることや得意なことをするより時間がかかるのは当然。中長期的には回収できても短期的には遅れてしまう可能性が高い。
それでもなお、人の成長を信じて業務を任せられるのは、短期的なKPIをミッションとして掲げる組織とはどこか矛盾をはらんでいる。
人材にもフォーカスできる視点をチームで持つためには人事の役割が必須だと思いつつ、事業への集中と組織のバランスがとても難しい時期に当たってる。